嶽林寺の沿革

嶽林寺 本堂

嶽林寺は正式名称を大峰山長慶院嶽林寺という。

上越新幹線上毛高原駅西側にあり、月夜野町、沼田市、赤城山、三峰山を一望出来る高台にある。

 寺伝では永正二年(1505年)、双林寺七世在天禅師を開山として、小川城二代小川次郎 景裕公(嶽林院殿奇厳清俊庵主)を開基に開創された。宗旨は曹洞宗、御本尊は釈迦如来である。

 当山が開かれた1500年代は室町時代末期、世は戦国の動乱期であり小川城は上杉氏の関東進出 の大事な足場の一城であった。 沼田城が小田原の北条氏の支配下になった際、よく北条側に対抗していたといわれている。

また、 当時の住職により、数度の戦場となった菩提木の台上では鎮魂の供養がなされ、後に供養塔が 建立されている。

 当寺は大本山総持寺元輪番地として開山在天禅師、二十一世物先慧外大和尚が大本山に晋でいる。 元輪番地とは即ち資格のある寺院(輪番地)が定められそこから各々その派頭の五院に登り、更に 大本山総持寺の現方丈として晋んだものである。

 江戸時代には数カ寺の末葉を持つ本寺格の寺であり、双林寺近門七カ寺の総代として本寺後見を 勤めていた。

 天下の義民茂左衛門、白子屋お駒の菩提寺としても知られている。

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