お駒堂縁起
嶽林寺の境内には、『お駒堂』または『観音堂』『念仏堂』と言われるお堂がある。
このお堂は、享保年間(1730年頃)に月夜野出生の市兵衛が娘の供養の為に建てたものである。
市兵衛は利根の木材を筏に組んで江戸に運んでいたが、日本橋新材木町の材木問屋白子屋庄兵衛とおつね の間に生まれたのがお熊(浄瑠璃等ではお駒としている)である。白子屋は大店であったが傾きかけた店を 立て直すため、娘のお熊に莫大な持参金付きで婿養子を迎えた。
これが原因となり起こった一連の白子屋騒 動は世上伝えられる大岡政談の中でも、はっきりと南町奉行大岡越前守の裁きと証明できる史実として世に 知られている。
この一見は江戸町民の目には極めて印象的に映ったようである。その為この事件を題材として浄瑠璃「恋娘 昔八丈」が中村座等で上演され、大当たりをとった。
江戸浄瑠璃の世話物の代表作で新内にも改曲され数多く 演じられ、現在に至るも浄瑠璃、歌舞伎に上演されている。